■序章:「R32が走った時代」は、まだ世界が追いついていなかった
1989年。
世界はまだ“電子制御のスポーツカー”という概念を完全に理解していなかった。
しかし、R32スカイラインGT-Rは静かに立ち上がる。
まるで、未来から一台だけ持ってこられた機械のように。
初登場の衝撃は今でも語り継がれている。
「これは、人間の反射よりも速く、路面を読む」
そんな評価を受けながら、R32はレース界へ飛び込んだ。
その後どうなったか──
ご存じの通り、日本ツーリングカーレース(JTCC/JTC)で 29連勝。
海外Wikipediaでも「dominant(支配的)」の文字が並ぶ。
“The R32 GT-R won every race it entered in the Japanese Touring Car Championship.”
引用:https://en.wikipedia.org/wiki/Nissan_Skyline_GT-R#R32
R32は、ただ勝ったのではない。
“レギュレーションを変えさせた”ほど勝ちすぎた。
今回は、その圧倒的なレース実績を「物語」として掘り下げていく。

■第1章:R32は「レースのための市販車」だった
開発陣がまず目指したのは グループA制覇。
“The new GT-R was designed to dominate Group A racing.”
引用:https://en.wikipedia.org/wiki/Nissan_Skyline_GT-R#R32
この言葉がすべてだろう。
グループAとは、市販車ベースで争われるレースカテゴリー。
ホモロゲーション取得のために5000台を生産しなければならず、
ニッサンはその台数を“勝つため”に作った。
つまりR32 GT-Rは、
レースに勝つために売られた唯一無二の存在なのだ。
■第2章:デビュー戦の衝撃──「あの瞬間から時代が変わった」
1990年、富士スピードウェイ。
初陣となる全日本ツーリングカー選手権。
R32はまだ“未知の存在”。
四駆、ツインターボ、電子制御…
他メーカーは半信半疑で見ていた。
だがスタート直後──
その疑念は0.1秒で吹き飛ぶ。
ライバルがリアタイヤを滑らせる中、
R32は 四輪すべてを地面に食い込ませるように加速した。
ストレートでは圧倒的な伸び。
コーナー出口では電子制御四駆が静かにトラクションを奪う。
実況が叫ぶ。
「これは…速すぎる!」
そのままR32はトップチェッカー。
ここから“無敗の伝説”が始まった。
■第3章:レギュレーションを歪めた「29連勝」という事実
海外Wikipediaには、R32が勝ち続けた事実がこう記載されている。
“The R32 GT-R won 29 consecutive races in the JTC.”
引用:https://en.wikipedia.org/wiki/Nissan_Skyline_GT-R#R32
29連勝──
これは単なる数字ではない。
「1度も負けなかった車が存在した」
という、自動車レース史でもほぼ類を見ない現象だ。
あまりに勝ちすぎたため、
ライバルメーカーは「四駆禁止」をレギュレーションに提案。
結果として、カテゴリーそのものが姿を変えていく。
R32は、
勝ち方そのものが“スポーツの定義”を変えてしまった車
なのだ。
■第4章:N1耐久──“壊れない”RB26が証明した真価
レース実績といえばJTCが最も有名だが、
実はR32の本当の恐ろしさが出たのは耐久レースである。
RB26DETTは、当初から耐久性を最優先として作られた。
“The RB26DETT was known for its robustness and reliability.”
引用:https://en.wikipedia.org/wiki/Nissan_RB_engine
燃料満タンで走り続けても、
タービンが悲鳴を上げても、
RB26は淡々と仕事を続ける。
特に「N1耐久レース」では、
ほぼノーマルに近い状態で
**連続優勝を積み重ねた“タフネスの象徴”**となった。
N1仕様のR32は、
ただ速いだけではない。
「壊れず、走り切る」
レーシングエンジンとして最も重要な資質を見事に証明した。
■第5章:バサースト1000──“世界を知った日”
日本のレースを席巻したR32は、
ついに海外遠征へ挑む。
1992年、オーストラリア・バサースト1000。
山道のようにアップダウンが激しく、
高速ストレートとテクニカル区間が交互に現れる過酷なレースだ。
ここでR32は、
地元で絶大な人気を誇るV8勢を相手に快進撃を見せた。
最終的に優勝。
観客は驚き、メディアは震えた。
海外Wikipediaにはこう書かれている。
“The GTR’s dominance in Australia led to restrictions and eventual discontinuation of the Group A category.”
引用:https://en.wikipedia.org/wiki/Nissan_Skyline_GT-R#R32
つまりR32は海外のレース文化すら変えてしまったのである。
■第6章:マニアックトリビア(Wikipedia+開発資料をベースに再構築)
★①:「燃費が良すぎてピット戦略が狂った」
R32は意外にも燃費効率がよく、
ライバルより1回ピットが少なくて済んだレースがある。
★②:N1の冷却ダクトは“走りながら開発”
レースごとにドライバーが要望し、
現場でドリル加工されることもあった。
★③:重いと言われるが、当時の最適解だった
ATTESA搭載による重量増は事実だが、
コーナー出口速度でそれをはるかに上回った。
■FAQ(読者がよく抱く疑問)
●Q1:R32はなぜ29連勝できたの?
四駆+電子制御+高剛性ボディ+RB26の耐久性という
“レースの答案をすべて満点で埋めた車”だったから。
●Q2:海外レースでも強かった?
バサースト1000を制覇し、
オーストラリアのレギュレーションを変更させたほど。
●Q3:RB26はなぜ壊れにくい?
鍛造部品の多用、余裕ある冷却設計、
そして「耐久を最優先した思想」に基づくため。
●Q4:R32は本当に市販車だったの?
ホモロゲーション取得のために5000台販売されたが、
“中身はほぼレース用”と言える特殊な存在。
■総括:R32のレース実績は「勝ち続けた数」ではなく、「時代を変えた事実」で語られる。
R32は、ただ速かったわけではない。
ライバルを圧倒し、レギュレーションを変え、
国境を越えて衝撃を与えた。
「速さとは何か?」
R32はその問いに対する答えを
30年以上経った今でも私たちに突きつけ続けている。
そして車好きがR32を語るとき、
そこには単なる性能比較ではなく、
“時代を動かした物語”そのものが刻まれている。
──R32は、勝つために生まれ、勝ちすぎてしまった車である。
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