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日産GT-R R35のレース実績──SUPER GT三冠、バサースト制覇、世界を走り抜いたVR38DETTの戦闘記録

市販車のR35GT-Rは、世界のスーパーカーへ挑戦するために生まれた。しかし、その真価が問われたのはショールームではない。富士スピードウェイの1コーナー。鈴鹿の130R。オーストラリア・マウントパノラマの長いストレート。そして、ヨーロッパの耐久レース。そこにはカタログスペックも、ブランドへの遠慮もない。速い者が勝つ。ただし、最後まで走り切れなければ意味がない。R35は、国内最高峰のSUPERGTから国際GT3レース、ニュルブルクリンク24時間、スーパー耐久まで、さまざまな舞台で戦った。しかも興味深いことに、GT500仕様とGT3仕様では、クルマの中身がまったく違う。片方はGT-Rの姿をまとった専用レーシングマシン。もう片方は、市販車由来のVR38DETTを武器にする世界規格のGTレーサー。その両方で勝利を積み重ねたことこそ、R35のモータースポーツ史の面白さだ。1.R35はデビュー戦から勝った──2008年SUPERGT2008_SGT_R9_013R35の国内レース史は、鮮烈なデビューから始まった。2008年、日産はSUPERGTのGT500クラスへR35型GT-Rを投入。開幕戦の鈴...

日産GT-R R35開発秘話──「スカイライン」を捨て、世界のスーパーカーに挑んだ日本の異端児

「ポルシェ911ターボと本気で戦えるクルマを、日本から送り出す。」それは単なる高性能スポーツカーの開発ではなかった。日産がR35GT-Rで挑んだのは、世界のスーパーカー市場に存在する常識そのものだった。大排気量の自然吸気エンジンでもない。伝統的なミッドシップレイアウトでもない。ましてや、ただ軽量化を突き詰めたピュアスポーツでもない。選んだのは、フロントにV6ツインターボを搭載し、後方にトランスアクスルを配置する独創的な4WDシステム。そして、ニュルブルクリンクで世界の強豪と真っ向勝負するという開発思想だった。その中心人物が、GT-R開発責任者として知られる水野和敏氏である。「誰もが、どこでも、どんなときでも、最高のスーパーカーライフを楽しめる」。この思想を実現するため、R35は従来のスカイラインGT-Rから大胆に決別した。なぜ直列6気筒を捨てたのか。なぜトランスミッションを後方へ置いたのか。そして、なぜ1台のGT-Rにこれほど長い年月をかけて改良を続けたのか。R35の開発秘話をたどると、日本のエンジニアたちが世界へ突きつけた、実に痛快な挑戦が見えてくる。1.「スカイライン」を外した理由...

R34スカイラインGT-Rは海外で何と呼ばれる?──「R34」「BNR34」、世界で通じる型式の正体

「R34」。海外の日本車ファンの前で、この三文字を口にすれば、多くの場合それだけで話が通じる。正式名称を最初から最後まで言う必要すらない。NissanSkylineGT-R。R34SkylineGT-R。R34GT-R。R34。BNR34。英語圏を中心とする海外では、こうした呼び方が使われる。面白いのは、「R34」という日本の車両型式に由来する記号が、国境を越えて事実上の世代名になっていることだ。しかもマニアの世界へ一歩踏み込めば、「R34」と「BNR34」は同じ意味ではない。V-Spec、M-Spec、Nür、Z-tune――。呼び方を掘り下げるだけで、海外のファンがR34をどれほど細かく認識しているのかが見えてくる。正式には「NissanSkylineGT-R」まず基本となる名称は、NissanSkylineGT-R。R34型スカイラインのGT-Rは1999年に登場し、日産の英語版ヘリテージコレクションでも「SkylineGT-R」、型式「BNR34」と明記されている。海外向けの記事などで最も誤解が少ない書き方なら、NissanSkylineGT-R(R34)あるいは、R34Nis...

R34スカイラインGT-Rのレース実績──JGTCで2度の王座、RB26からV6へ。最後まで進化したBNR34の戦歴

R34スカイラインGT-Rのレーシングカーには、ロードカーの常識がほとんど通用しない。4WDではない。サスペンションも市販車とは別物。そしてキャリア後半には、RB26DETTさえ搭載していない。「それでもGT-Rなのか?」答えはレース結果が示している。BNR34は全日本GT選手権(JGTC)のGT500クラスで、デビューイヤーの1999年にドライバーズタイトルを獲得。2001年にはNISMOがチームタイトル。そして最後の2003年には、ドライバーズ&チームのダブルタイトル。しかも最終年のR34は、もはや直列6気筒ではない。V6ツインターボ。トランスアクスル。前後パイプフレーム。勝つためなら、自らの象徴すら捨てる。R34のレース史は、GT-Rという名前を守るために「GT-Rらしさ」を変え続けた物語でもある。R34の主戦場はJGTC・GT500R32にはグループA。R33にはJGTCとル・マン。そしてR34のワークス活動を象徴する舞台となったのが、全日本GT選手権・GT500クラス。市販BNR34の登場に合わせ、JGTCマシンも1999年からR34へ切り替わった。ただし、外観こそスカイライ...

R34スカイラインGT-R開発秘話──なぜR33より小さくなった? BNR34に込められた「第二世代GT-R完成形」への執念

「もっと大きく、もっと豪華に」。普通なら、モデルチェンジとはそういう方向へ進みがちだ。ところがR34スカイラインGT-R、型式BNR34は逆へ向かった。R33よりホイールベースを短くし、ボディを凝縮する。その一方で剛性を高め、空力を磨き、RB26DETTを熟成させ、電子制御を進化させる。日産が目指したのは、単純なパワー競争ではなかった。「ドライバーが使い切れる速さ」を、第二世代GT-Rの集大成として作り込むこと。R32で復活し、R33で高速GTとして成熟したGT-R。その技術をもう一度研ぎ澄まし、余分なものを削り取る。それがR34開発の面白さである。R34は「大きくなったR33」をもう一度凝縮したR33GT-Rのホイールベースは2,720mmだった。対するR34は、2,665mm。55mm短い。NISMOのモータースポーツ資料でも、R34へのモデルチェンジでは基本コンポーネントをR33から受け継ぎながら、ボディをサイズダウンしたことが記録されている。つまりR34は、まったく白紙から作ったGT-Rではない。RB26DETT。ATTESAE-TS。マルチリンクサスペンション。R32からR3...

R33スカイラインGT-Rは海外でどう評価されている?──「不人気な中間世代」から再評価されたBCNR33の実力

R33スカイラインGT-Rには、長い間ひとつの不運があった。前にR32、後ろにR34がいる。R32にはグループAで築いた強烈なモータースポーツ史がある。R34には映像作品やゲームを通じて世界的に広がった圧倒的な知名度がある。その間に挟まれたBCNR33は、「大きい」「重い」「地味」と評されることもあり、海外でも他世代のGT-Rほど注目されない時期があった。ところが現在、その評価はかなり面白い方向へ変化している。米国のクラシックカー評価会社Hagertyは、R33が愛好家から見落とされがちな存在だったとしながらも、R32より空力、剛性、重量バランスなどを進化させ、高速域ではより安定し予測しやすいドライビング特性を持つと評価している。英国『evo』もR33を改めて取り上げ、その頂点に位置するNISMO400Rを極めて特別な存在として評価している。つまりR33は今、「R32とR34の間のGT-R」ではなく、「R33だからこそ成立したGT-R」として見直され始めている。R33が海外で不利だった最大の理由R33の評価を理解するには、まずR32との違いを見なければならない。R33GT-RはR32よ...

R33スカイラインGT-Rは海外で何と呼ばれる?──「R33」「BCNR33」、そして型式が世界共通語になった理由

「R33」。海外のJDMファンにとって、この三文字はもはや単なる日産の型式世代ではない。R32、R33、R34。スカイラインGT-Rは世界でも、このコードネームに近い呼び方で世代を区別されることが非常に多い。だが、マニアックに掘り下げると話は少し複雑だ。R33とBCNR33は、厳密には同じ意味ではない。そして海外では、NissanSkylineGT-RR33SkylineGT-RR33GT-RR33BCNR33と、文脈やファンの知識レベルによって呼び方が変わる。さらに400R、GT-RLM、V-specなど、R33時代ならではの固有名詞も世界のGT-Rファンには通じる。では、海外のクルマ好きはBCNR33をどう呼んでいるのか。その「名前」を追うと、R33が世界でどのように認識されているのかまで見えてくる。正式名称は「NissanSkylineGT-R」まず基本となるのは、NissanSkylineGT-R。R35の正式車名はNissanGT-Rだが、R33はあくまでスカイラインシリーズに属するGT-Rである。日産ヘリテージコレクションでも、R33は「SkylineGT-R」、型式は「B...

R33スカイラインGT-Rのレース実績──JGTC王座、ル・マン挑戦。R32とは違う戦場で戦ったBCNR33

R33スカイラインGT-Rのレース人生は、あまりにも難しい状況から始まった。先代R32には「グループA・29戦29勝」という巨大な戦績がある。ところがBCNR33が登場したころ、そのグループAはすでに終了していた。つまりR33には、R32と同じ方法で伝説を作ることができなかった。そこでR33が向かったのが、全日本GT選手権――JGTC。そしてもう一つが、ル・マン24時間。国内GTレースではポルシェ、フェラーリ、マクラーレン、ホンダNSXらと戦い、最終的には1998年にドライバーズ&チームのダブルタイトルを獲得。ル・マンでは市販車由来のスチールモノコックを使いながら、GT-Rの象徴ともいえる4WDさえ捨てて世界へ挑んだ。R33のレース史は、R32の「全勝」とはまるで違う。負ける。改良する。また戦う。その繰り返しだった。だからこそ、BCNR33のレーシングストーリーは面白い。R33の主戦場はグループAではなく「JGTC」R32GT-Rのレーシングカーは、もともとグループAマシンをベースとしてGTレースへ発展していった。しかしR33は違う。NISMOによれば、R33GT-RのGT仕様は、最初...

R33スカイラインGT-R開発秘話──「マイナス21秒」の真相。大きくなったGT-Rがニュルで証明した進化

「R32より大きい」。R33スカイラインGT-R、型式BCNR33を語るとき、この言葉は長い間つきまとってきた。ホイールベースは延長され、ボディも拡大。車重も増えた。コンパクトで凝縮感のあるR32を愛するファンからすれば、最初の印象が厳しかったのも無理はない。だが、日産はそんな評価が出ることを承知していたかのように、R33へひとつの数字を用意した。7分59秒887。舞台はニュルブルクリンク北コース。R32より、21秒速い。後に有名になる「マイナス21秒」である。R33の開発秘話を追うと、このクルマが単なる「大型化したR32」ではなかったことが見えてくる。むしろ日産が目指したのは、RB26DETTと4WDというR32の武器を受け継ぎながら、“速さの質”を作り直すことだった。R32という巨大すぎる成功の後継車R33にとって最大のライバルは、ポルシェでもフェラーリでもなかった。R32GT-Rだった。R32は16年ぶりにGT-Rを復活させ、グループAで圧倒的な戦績を残した。RB26DETT。ATTESAE-TS。4輪マルチリンク。それまでのGT-R像を完全に更新した一台だった。問題は、その次で...