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世界がつけた異名──R35 GT-Rが“ただのスポーツカー”では終わらなかった理由

「GT-R」という名が海を渡った日2007年の秋、東京モーターショーのステージに登場した新型GT-Rは、それまでのスカイラインとはまったく別次元の存在だった。日産が掲げた開発テーマは「世界一のマルチパフォーマンスカー」。それは単なる速さでも、単なる快適性でもない。あらゆる道、あらゆる状況で世界最高を名乗るという挑戦だった。この“野望”は、瞬く間に海を越えて世界へと広がる。だが不思議なことに、GT-Rという3文字はどこへ行ってもそのまま通じるにもかかわらず、各国の人々はこのクルマに独自の呼び名を与え始めた。そこには、それぞれの文化と価値観、そしてGT-Rがもたらした衝撃の大きさが、はっきりと刻まれている。I.“SamuraiSupercar”──ヨーロッパが見た「東洋の叡智」まずGT-Rが強烈な印象を残したのがヨーロッパだった。2008年、イギリスやドイツ、イタリアといった自動車文化の本場に上陸したR35は、フェラーリやポルシェといった超一流ブランドと真っ向から肩を並べ、圧倒的なコストパフォーマンスと性能で彼らを脅かす存在となる。英『CARMagazine』はデビュー直後の特集でこう評し...

世界を震わせた“量産車の挑戦”──R35 GT-Rが刻んだ伝説のレースヒストリー

「ストリート生まれ、サーキット育ち」──R35が背負った宿命2007年、GT-Rの名を冠した新たなマシンが誕生したとき、誰もがそのポテンシャルに息を呑んだ。だがこのクルマが本当に“本物”であることを証明するのは、スペック表でもカタログでもない。それはただひとつ──サーキットという戦場だ。R35GT-Rの開発陣は当初から明確に語っていた。「我々はサーキットで勝つためのクルマを作っている。量産車であっても、ライバルはレーシングカーだ。」この言葉通り、R35は市販車としての枠を超え、世界各地の耐久レースやGT選手権で爪痕を残す存在となった。ここから先は、その知られざる“闘いの記録”である。I.GT500での衝撃デビュー──「ストリートマシンが本気を出すとこうなる」R35が初めて公式レースの舞台に姿を現したのは、2008年のSUPERGTGT500クラス。前年までR34時代の直系モデル「Z33フェアレディZ」で参戦していたNISMOは、新たな戦闘機としてR35の名を冠したマシンを投入した。このマシン、見た目こそGT-Rだが、中身は完全なレーシングカー。カーボンモノコック、ドライサンプV8、ミッ...

GTNET埼玉店 新着入庫車情報

●年式:2016(平成28年)/11月 ●型式:DBA-R35 ●カラー:ダークメタルグレー ●シフト:フロアAT ●修復歴:無し

「常識破りの進化」──R35 GT-R、ゼロから生まれた“日産の答え”

「スカイラインの延長ではない」──R35が掲げた“革命”2007年。東京モーターショーの舞台でその姿を現した瞬間、日本中のカーファンが息をのんだ。それは、かつての「スカイラインGT-R」の延長線上にはいない“まったく新しい存在”──NissanGT-R(R35)だった。それまでGT-Rは、あくまで「スカイライン」という量産車をベースにした高性能バージョンという位置付けだった。しかしR35は違った。社内でも「これはスカイラインではない」と明言され、ゼロから“世界最速”を目指すプロジェクトとして開発が始まったのだ。日産が掲げたのは、たった一つの目標。「フェラーリ、ポルシェ、ランボルギーニ──そのすべてを、量産車として超える。」これは単なるスローガンではなかった。日本メーカーが“世界基準”を真っ向から打ち破る挑戦だったのだ。I.「ポルシェに勝て」──GT-R開発チームの合言葉開発の中心にいたのは、当時のチーフ・プロダクトスペシャリスト、水野和敏。彼がプロジェクトを引き継いだとき、最初に口にした言葉がすべてを象徴している。「ポルシェ911ターボに勝てなければ、GT-Rではない。」その“標的”は...

「R34」という名が“響いた”国々──世界がこのクルマに贈った異名とその理由

「R34」は単なる型式ではない。世界中が“名を与えた”存在1999年、R34スカイラインGT-Rがデビューしたとき、それは単なる新型車ではなかった。R32から始まった伝説が、R33で熟成され、そしてR34で究極の完成形へと到達した──そんな空気が、日本だけでなく世界中の愛好家の間に広がっていた。しかし面白いのは、このクルマが世界各国で“異なる呼び方”をされてきたことだ。それは単なるニックネームではない。R34という存在に対する国ごとの解釈と敬意の形だったのだ。本稿では、5000文字を超えるボリュームで、R34が海外でどのような名前で呼ばれ、なぜそう呼ばれるようになったのかを、逸話とともに深堀りしていく。I.「TheSkyline」──アメリカが“車名”を超えて敬意を払った存在まず特筆すべきは、北米での呼ばれ方だ。R34が正式に販売されなかったアメリカでは、「GT-R」というよりも「TheSkyline(あのスカイライン)」と呼ばれることが多かった。この背景には、1990年代後半〜2000年代初頭の“幻の存在”としての文脈がある。当時、アメリカの輸入規制(通称:25年ルール)により、R3...

「最後のスカイラインGT-R」が刻んだ戦いの記録──R34が残した勝利の軌跡と技術の証明

「伝説の系譜を終わらせるな」──最後のGT-Rに課せられた使命1999年、R34スカイラインGT-Rは、時代の荒波の中で生まれた。排ガス規制や安全基準が厳しさを増し、ハイパフォーマンスカーが次々と姿を消す中で、GT-Rブランドの存続は危ぶまれていた。しかし日産の開発陣は決して諦めなかった。彼らはこう語った。「伝説は終わらせない。ただし“懐古”ではなく、“進化”として次の章を刻む。」R32が無敗神話を築き、R33が世界基準を押し上げた。その系譜を継ぐR34は、「最終進化系」として、単なる“速い車”ではなく「戦うための兵器」として設計されたのだ。I.新時代のGT500マシン──JGTCでの戦いが示した「電子制御の力」R34が最も輝いた舞台、それが全日本GT選手権(JGTC)GT500クラスだった。1999年、NISMO、カルソニック、ペンズオイルといった名門チームがR34を投入すると、マシンはデビュー戦から異次元の走りを見せた。心臓部は熟成の極み「RB26DETT」。ただし、出力だけで勝負する時代は終わっていた。R34は空力、電子制御、そしてドライバビリティのすべてを統合した「総合性能マシ...

「究極のRB26を乗せた最後のGT-R」──R34開発の舞台裏、知られざる真実

「伝説の継承」ではなく「新時代の創造」だった1999年1月。「スカイラインGT-R」という名を冠した最後のマシン──BNR34が静かに姿を現した。R32、R33と続いた黄金の系譜を受け継ぐ3代目GT-RとしてデビューしたR34は、今や伝説の一台として語られる。しかしその誕生の舞台裏は、「単なる後継車」ではなく、「時代と戦うための挑戦」そのものだった。1990年代後半、自動車業界は大きな転換期を迎えていた。衝突安全や排ガス規制が強化され、環境対応の波が押し寄せる一方で、ハイパフォーマンスカーの存在意義が問われ始めていたのだ。そんな時代に、日産の開発陣はこう決断する。「GT-Rは“過去の栄光をなぞる”車ではない。次の時代のベンチマークになる車を作らなければならない。」こうして、BNR34の開発は“伝説の継承”ではなく“新しい基準”を生み出す戦いとして始まった。I.プロジェクトR:たったひとつの使命は「究極のRB26を世に出すこと」BNR34の開発コードは**「ProjectR」**。その中心にいたのは、チーフエンジニア・伊藤修一と、R32・R33時代からGT-Rを手掛けてきたエースエンジニ...

“ゴジラ”だけじゃない──R33スカイラインGT-Rが世界で呼ばれた異名とその背景

「影」と呼ばれた名機の再評価は、海の向こうから始まった1995年、BNR33スカイラインGT-Rは満を持して登場した。しかし、国内では当初から賛否が渦巻いた。「R32より重い」「大きすぎる」「走りが鈍い」──伝説のR32の後継としては、あまりにハードルが高かったのだ。だが、興味深いことに、この「微妙な空気」は日本国内だけのものだった。海の向こうのクルマ好きたちは、R33をまったく違う視点から見ていたのだ。ヨーロッパでは「技術の怪物」、オーストラリアでは「サムライ・スーパーカー」、アメリカでは「禁断のゴジラ」と──R33は世界各地で異なるニックネームを授かり、国ごとに違う“文脈”で語られていたのである。ここでは、その呼び名の背景と誕生秘話、当時のメディア記事や現地の声を交えながら、R33が世界でどのように受け止められたかを追っていこう。I.“GodzillaII”──進化した怪獣としての再定義(オーストラリア)まず最初に語らなければならないのが、R32時代から続く伝説的なニックネーム「Godzilla(ゴジラ)」の進化形、「GodzillaII」だ。この呼び名は、**オーストラリアのモー...

“最強ではなく最速を証明せよ”──R33スカイラインGT-Rが戦場で刻んだ伝説

「神話の継承者」は、戦いの中で評価を覆した1995年1月。BNR33スカイラインGT-Rがデビューした瞬間、世界中のGT-Rファンはある“宿命”を思い出した。──「R32の29戦29勝」。1989年の復活とともにツーリングカーレースを席巻したR32は、**「Godzilla」**の名で恐れられる存在となり、GT-Rというバッジに“勝たなければならない”という宿命を刻み込んだ。だが、その神話の影はあまりに大きかった。R33は登場当初、「重い」「デカい」「鈍い」と批判され、R32ほどの熱狂を得られなかった。しかし、真の評価はサーキットという戦場でこそ語られる。R33は、その“重さ”を武器に変え、冷静で圧倒的な勝負強さを見せつけることになるのだ。I.グループA終焉の後──R33の戦場は国内だけではなかった1993年、R32が無敗神話を築いた**全日本ツーリングカー選手権(JTC)**が終了。その後継となったのは、全日本GT選手権(JGTC)──現在のSUPERGTの前身である。この新シリーズは、純粋な市販車ベースのGTカーをベースに高度な改造を認めるレギュレーションで、かつての「グループAマ...