R32スカイラインGT-Rのレース実績──国内29戦29勝、スパ24時間総合優勝、バサースト連覇。BNR32が残した戦績

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「レースで勝つために生まれた」という表現は、スポーツカーの記事では珍しくない。

しかしBNR32型スカイラインGT-Rの場合、それは宣伝文句では済まない。

全日本ツーリングカー選手権のグループAで29戦29勝。しかも29戦すべてでポールポジション。

さらにベルギーではスパ・フランコルシャン24時間を総合優勝。

オーストラリアではツーリングカー選手権を制し、バサースト1000も連覇した。

日本、ヨーロッパ、オーストラリア。

異なるコース、異なる環境、異なるライバルを相手に結果を残したのである。

R32を名車にしたのはRB26DETTのチューニング耐性だけではない。

実際にレースへ投入され、本当に勝ち続けたこと。

ここを知らずにBNR32は語れない。

グループAという「市販車の素性」が問われる舞台

R32 GT-Rの主戦場となったのが、グループA規定によるツーリングカーレースだった。

グループAでは市販車をベースに競技車両を作るため、そもそものベース車が重要になる。

そこで日産は、後から市販車をレース仕様へ仕立てるだけではなく、GT-Rそのものを競技で勝つことを強く意識して開発した。

RB26DETT。

電子制御トルクスプリット4WD、ATTESA E-TS。

前後マルチリンク。

そしてホモロゲーションを見据えたGT-R NISMO。

NISMOは後年、BNR32について「まぎれもなくレースに勝つために生まれたクルマ」と振り返っている。

そして、その設計思想の答え合わせが始まる。

デビュー戦──いきなり1-2フィニッシュ

R32 GT-Rの全日本ツーリングカー選手権デビューは、西日本サーキットで行われた1990年開幕戦。

カルソニックGT-Rを星野一義/鈴木利男組、リーボックGT-Rを長谷見昌弘らがドライブした。

予選からGT-Rは速かった。

ポールポジションはカルソニックGT-R。

2番手もGT-R。

前年まで強さを見せていたフォード・シエラRS500を後方へ追いやる。

そして決勝。

GT-Rが1-2フィニッシュ。

優勝したカルソニックGT-Rは、他車をすべて周回遅れにするほどの速さを見せたとNISMOは記録している。

ただし、完璧だったわけではない。

2台とも駆動系に問題を抱えていた。

速い。

しかし壊れる可能性もある。

デビュー戦は、R32の圧倒的なポテンシャルと同時に、強大なパワーと4WDシステムをレースで使い切る難しさも露呈した一戦だった。

そして始まった「29戦29勝」

R32 GT-Rの国内グループA戦績には、とんでもない数字が残っている。

29戦。

29勝。

日産ヘリテージコレクションとNISMOの双方が、1990~1993年に行われた全29戦でR32 GT-Rが勝利したことを記録している。

さらに日産の保存資料によれば、

29戦29ポールポジション。

つまり決勝で負けなかっただけではない。

予選でも毎回GT-Rが最速だった。

ただし、この「29連勝」には重要な補足がある。

GT-Rという車種が29戦すべて勝ったという意味であり、特定の1台や1チームが29連勝したわけではない。

カルソニック。

リーボック。

UNISIA JECS。

ADVAN。

ZEXEL。

複数のR32 GT-Rが競い合った。

やがて最大の敵は他メーカーではなく、

別のGT-Rになっていった。

フォード・シエラRS500という強敵

R32登場以前のグループAで強烈な存在感を放っていたのが、

Ford Sierra RS500 Cosworth。

FR。

2.0Lターボ。

大出力。

世界各国のツーリングカー選手権で結果を残した強敵だった。

R32のデビュー戦でもシエラは参戦していたが、NISMOの記録によれば予選ではポールの星野GT-Rから約2秒差をつけられた。

GT-Rの強みは最高出力だけではない。

RB26DETTのパワーをATTESA E-TSによって四輪へ伝えられる。

コーナー出口でアクセルを開ける。

4本のタイヤを使って加速する。

パワーを出すだけでなく、パワーを路面へ変換できた。

これがグループAのR32を恐ろしく速くした。

レース仕様RB26DETTは550PS以上

市販R32 GT-RのRB26DETTは280PS。

しかしグループA仕様は別世界だ。

日産が保存する1991年スパ24時間総合優勝仕様のZEXELスカイラインGT-Rは、

2,568cc RB26DETT
最高出力550PS以上/7,600rpm
最大トルク50.0kgm以上/6,000rpm
車両重量1,250kg

と記録されている。

1,250kgの車体に550PS以上。

しかも4WD。

現在なら500PSオーバーの市販車も珍しくない。

しかし1990年代初頭のツーリングカーである。

さらに恐ろしいのは、単に直線が速いだけではなく、耐久レースでも結果を残したことだ。

スパ24時間──欧州でもGT-Rは通用した

国内で勝っても、

「日本の特殊な環境だから強かった」

という見方はできる。

ならばヨーロッパへ持っていったらどうなるのか。

その答えを出した舞台が、

スパ・フランコルシャン24時間。

R32 GT-Rは1990~1992年にスパ24時間へ挑戦した。

最初の1990年から結果を出す。

グループN仕様のGT-Rが、

クラス1-2-3フィニッシュ。

NISMOによれば、この結果は欧州のレース関係者に大きなインパクトを与えた。

しかし翌年は、さらに上へ行く。

1991年スパ24時間──総合優勝

ZEXELスカイラインGT-R、25号車。

ドライバーは、

服部尚貴
アンデルス・オロフソン
デイビッド・ブラバム。

グループA仕様R32 GT-Rはポールポジションからスタート。

そして24時間後、

総合優勝。

日産の記録では、最高速と最長走行距離のレコードを記録し、2位のポルシェ911を20周以上引き離して勝利した。

20周以上。

24時間レースで「僅差の逃げ切り」ではない。

長時間走り続けた末に、それだけの差を作った。

さらに同じレースでは、より市販車に近いグループN仕様R32もクラス優勝し、

総合6位

へ入っている。

グループAが総合優勝。

グループNもクラス優勝。

R32の基本設計の強さを象徴する結果だった。

スパではグループNが3年連続クラス優勝

R32のスパ24時間戦績で見逃されがちなのがグループNだ。

1990年。

クラス1-2-3。

1991年。

クラス優勝。

1992年。

再びクラス優勝。

つまり、

3年連続でグループNクラスを制した。

1992年はグループA仕様車がリタイアしたものの、グループN仕様が勝利を守ったとNISMOは記録している。

これは興味深い。

派手なのは550PS級のグループAマシンだ。

しかし市販車に近い規則でもR32は強かった。

ベース車そのものの戦闘力が高かったことを示す実績と言える。

ニュルブルクリンク24時間でもクラス優勝

ヨーロッパでの活躍はスパだけではない。

NISMOの公式戦績には、

1991年ニュルブルクリンク24時間・グループNクラス優勝

も記録されている。

ニュルブルクリンク北コースは、路面のうねり、高低差、長大な一周、天候変化などで知られる。

速いだけでは勝てない。

足回り。

ブレーキ。

冷却。

耐久性。

ドライバーへの負担。

それらを長時間成立させる必要がある。

スパとニュル。

性格の違う欧州の耐久戦でR32が結果を残したことは、このクルマの評価を日本国内だけのものではなくした。

オーストラリアでもチャンピオン

そしてR32 GT-Rの海外レース史で絶対に外せない国が、

オーストラリア。

日産の公式NISMOヒストリーによれば、R32は1991年にジム・リチャーズとともにオーストラリアツーリングカー選手権を制覇。

1992年もタイトルを獲得した。

つまり、

オーストラリアツーリングカー選手権2連覇。

高速コース。

荒れた路面。

長距離イベント。

日本とは異なるレース文化。

そこでR32は、またしても勝った。

バサースト1000──山岳コースで連覇

オーストラリアで最も象徴的な戦績が、

Bathurst 1000。

舞台はマウント・パノラ。

高低差が激しく、山岳区間では壁が迫り、高速区間もある。

一瞬のミスが大クラッシュにつながる難コースだ。

R32 GT-Rはここで、

1991年優勝。

そして、

1992年も優勝。

バサースト1000を連覇した。日産の公式ヒストリーも、1991年と1992年の勝利を記録している。

日本で29戦全勝。

ベルギーで24時間総合優勝。

オーストラリアで選手権2連覇とバサースト連覇。

R32のレース実績が異常なのは、

一つのシリーズだけで無双したわけではないこと

にある。

マカオでも総合優勝

さらにNISMOの公式戦績を見ると、1990年には、

マカオ・ギアレース総合優勝

も記録されている。

マカオは常設サーキットとはまったく違う。

市街地。

狭い。

壁が近い。

高速区間と低速コーナーが混在する。

つまりR32は、

日本の常設サーキット。

スパの高速耐久。

ニュルブルクリンク。

バサースト。

マカオ市街地。

まるで性格の違う舞台で勝利を積み重ねた。

これがR32の戦績に厚みを与えている。

N1耐久でも強かった

グループAの派手な戦績の陰で、より市販車に近いカテゴリーでもR32は活躍した。

NISMO公式戦績では、

1991年J-N1チャンピオン。

1992年J-N1チャンピオン。

さらに日産ヘリテージコレクションには、1993年筑波12時間耐久レース優勝車も保存されている。

グループAだけを見れば、

「専用に作り込まれた競技仕様が強かった」

とも言える。

しかしN1でも勝った。

そこにR32の怖さがある。

競技用に徹底改造したときだけ速いのではない。

市販車に近づいても基本性能が残っていた。

29戦全勝の裏側では「GT-R対GT-R」が起きていた

「29戦29勝」と聞くと、一台のGT-Rがライバルを蹴散らし続けたように想像してしまう。

実際はもっとマニアックで、もっと面白い。

GT-Rが強すぎたため、

レースの主役がGT-R同士の戦いへ変わっていった。

日産ヘリテージコレクションも、グループAでは「Skyline対Skyline」の戦いが観客を興奮させたと振り返っている。

同じBNR32でも、

チームが違う。

セットアップが違う。

ドライバーが違う。

タイヤが違う。

だからレースは成立する。

他車に勝つGT-Rから、

GT-Rを倒すためにGT-Rが戦うカテゴリー

へ。

29戦全勝という数字の裏には、そんな異様な時代があった。

R32のレース実績は「RB26が凄かった」だけでは説明できない

R32のレース史を語ると、どうしてもRB26DETTへ話が集中する。

確かに550PS以上を発生したグループA仕様のRB26は強烈だ。

しかし、それだけなら後輪を空転させる大馬力車で終わっていたかもしれない。

R32にはATTESA E-TSがあった。

4本のタイヤを使って加速する。

マルチリンクでタイヤを路面へ追従させる。

そしてレース部門と量産車開発部隊がベース車の段階から関わった。

NISMO自身も、R32の強さについて、スペックだけでなく日産の量産車開発部隊とNISMOが一体となってベース車を作ったことを重要な要因として挙げている。

エンジンだけではなく、クルマ全体が競技を向いていた。

だから勝てた。

日本だけの伝説ではない

R32 GT-Rの戦績を整理すると、その異常さがよく分かる。

日本ではグループA全29戦29勝・29ポール。

欧州ではスパ24時間総合優勝。

グループNではスパ3年連続クラス優勝。

ニュルブルクリンク24時間でもグループNクラス優勝。

オーストラリアではツーリングカー選手権2連覇。

バサースト1000も2連覇。

マカオでも総合優勝。

ここまで来ると、

「日本のグループAで強かったクルマ」

という説明では足りない。

R32は三つの大陸で結果を残した国際的なレーシングマシンだった。

日産も2017年、R32が日本、欧州、オーストラリアという3大陸で主要タイトルやレース勝利を獲得したことを、そのレーシングヒストリーの象徴として紹介している。

29連勝は「伝説」ではなく、記録で残っている

古いレーシングカーには、年月とともに話が膨らんでいくものがある。

R32にもさまざまな逸話が付随する。

しかし、このクルマに関して最も恐ろしい部分は、

話を盛る必要がないことだ。

29戦29勝。

29ポール。

スパ24時間総合優勝。

バサースト1000連覇。

オーストラリア選手権連覇。

ニュル24時間クラス優勝。

数字をそのまま並べるだけで十分に強烈なのである。

GT-Rという名前が現在まで特別視される理由は、最高出力でも中古車価格でもない。

そのエンブレムには、

「実際にサーキットへ持ち込み、世界で勝った」

という履歴が刻まれている。

そしてBNR32は、その意味を現代へ決定的に焼き付けた一台だった。

FAQ

R32 GT-Rは本当にグループAで29戦29勝したのですか?

はい。1990~1993年の全日本ツーリングカー選手権グループAで、R32 GT-Rは全29戦に勝利しました。日産の公式資料では29戦すべてでポールポジションを獲得したことも記録されています。

29連勝は同じ1台が勝ち続けたという意味ですか?

違います。R32 GT-Rという車種がシリーズの全29戦で勝ったという記録です。複数のチームとドライバーがGT-Rを走らせ、GT-R同士で優勝を争いました。

R32 GT-Rはスパ24時間で総合優勝していますか?

はい。1991年にZEXELスカイラインGT-Rが総合優勝しました。服部尚貴、アンデルス・オロフソン、デイビッド・ブラバム組がドライブし、2位のポルシェ911に20周以上の差をつけたと日産は記録しています。

R32 GT-Rはバサーストでも勝ったのですか?

1991年と1992年のバサースト1000で優勝し、2連覇しています。またオーストラリアツーリングカー選手権でも1991年、1992年にタイトルを獲得しました。

グループA仕様R32 GT-Rは何馬力でしたか?

仕様によって異なります。日産が保存する1991年スパ24時間総合優勝仕様は、RB26DETTから550PS以上を発生すると記録されています。したがって「すべてのグループA R32が常に550PS」と考えるのは正確ではありません。

R32はニュルブルクリンク24時間でも勝っていますか?

総合優勝ではなく、1991年にグループNクラスで優勝しています。


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