R33スカイラインGT-Rのレース実績──JGTC王座、ル・マン挑戦。R32とは違う戦場で戦ったBCNR33

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R33スカイラインGT-Rのレース人生は、あまりにも難しい状況から始まった。

先代R32には「グループA・29戦29勝」という巨大な戦績がある。

ところがBCNR33が登場したころ、そのグループAはすでに終了していた。

つまりR33には、

R32と同じ方法で伝説を作ることができなかった。

そこでR33が向かったのが、全日本GT選手権――JGTC。

そしてもう一つが、

ル・マン24時間。

国内GTレースではポルシェ、フェラーリ、マクラーレン、ホンダNSXらと戦い、最終的には1998年にドライバーズ&チームのダブルタイトルを獲得。

ル・マンでは市販車由来のスチールモノコックを使いながら、GT-Rの象徴ともいえる4WDさえ捨てて世界へ挑んだ。

R33のレース史は、R32の「全勝」とはまるで違う。

負ける。改良する。また戦う。

その繰り返しだった。

だからこそ、BCNR33のレーシングストーリーは面白い。

R33の主戦場はグループAではなく「JGTC」

R32 GT-Rのレーシングカーは、もともとグループAマシンをベースとしてGTレースへ発展していった。

しかしR33は違う。

NISMOによれば、R33 GT-RのGT仕様は、

最初から本格的なGTマシンとして開発された。

ここは重要だ。

R33のレースカーは「市販GT-Rを少し改造したもの」というレベルではない。

JGTCという新しい戦場へ合わせ、競技車として大胆に作り替えられていった。

市販R33のイメージだけでJGTC仕様を見ると、その中身に驚かされる。

なんとJGTC仕様はFRだった

市販R33 GT-R最大の武器といえば、

ATTESA E-TSによる4WD。

ところが当時のJGTC仕様では、その常識がひっくり返る。

R33 GT-RのGTマシンは、

2WD、つまりFR化された。

さらにトランスミッションにはX-TRAC製シーケンシャルを採用。

サスペンションも市販車のマルチリンクではなく、競技専用のダブルウィッシュボーンへ変更された。

空力も積極的にダウンフォースを発生させる方向へ進化し、コースによってカナードまで使い分けていた。

GT-Rなのに4WDではない。

マルチリンクでもない。

それでもGT-Rを名乗る。

なぜなら目的は一つ。

レースで速いこと。

R33の競技車は、ブランドイメージよりラップタイムを優先したマシンだった。

1995年、JGTCへ投入

R33 GT-RのJGTC仕様は1995年シーズンから登場する。

ただし最初から全チームがR33だったわけではない。

NISMOの記録によれば、4月の開幕戦鈴鹿ではJOMO BCNR33の1台だけがニューマシン。

予選2位、決勝も2位だった。

そして優勝したのは――

R32 GT-Rのカルソニックスカイライン。

新型R33のデビュー戦を、旧型R32が阻止する。

GT-R史でもかなり面白い一戦である。

その後、第2戦富士からカルソニックとユニシアジェックスもR33へスイッチ。

いよいよ本格的なBCNR33時代が始まった。

富士で1-2-3──R33が表彰台を独占

デビューイヤーのR33は、すぐに戦闘力を見せた。

特に象徴的だったのが第4戦富士。

R33 GT-Rが1位、2位、3位。

表彰台を独占した。

さらにNISMOによれば、1995年のGT-R勢はシーズン全戦で表彰台へ上がる活躍を見せ、カルソニックスカイラインを駆る影山正彦がドライバーズチャンピオンを獲得した。

R32時代のような「全部勝つ」という世界ではない。

しかし新しいGTレースの時代でも、

GT-Rはタイトルを取れる。

R33はデビューシーズンでそれを証明した。

R33の敵は「GT-R以外全部」ではなくなった

ここがR32時代との決定的な違いだ。

グループA末期はGT-R同士の争いが中心になった。

ところがJGTCでは状況が変わる。

ポルシェ。

フェラーリ。

トヨタ・スープラ。

そして後にはホンダNSX。

さらに、とんでもないマシンまでやって来た。

McLaren F1 GTR。

市販車を起点とするとはいえ、そもそもの設計思想がスーパーカーである。

R33は、そんな相手と同じGTカテゴリーで戦わなければならなかった。

1996年──マクラーレンF1 GTRという巨大な壁

1996年のJGTCでは、マクラーレンF1 GTRが登場する。

NISMO自身も、このシーズンについてGT-Rが苦戦したと振り返っている。

これはR33のレース史を語るうえで非常に重要だ。

R32時代のように、

「GT-Rを出せば勝てる」

という環境ではない。

GTカテゴリーは急速に高度化していた。

R33はその変化の真正面に立たされた。

だからこそNISMOは、

エンジン。

シャシー。

空力。

タイヤ。

車体重量。

すべてを少しずつ進化させていく。

R33のレース史は、

完成された無敵マシンの物語ではなく、競争の中で進化したGTマシンの物語

なのである。

1997年──開幕戦を制するもタイトルには届かず

1997年には、F1経験を持つ鈴木亜久里もGT-R陣営へ加わった。

そして開幕戦。

鈴木亜久里/エリック・コマス組のGT-Rが勝利する。

幸先のいいスタートだった。

しかし、その後は勝利を追加できず、NISMOはシリーズタイトルを逃す。

R33にとって、ここがひとつの分岐点になる。

速さはある。

でも勝ち切れない。

ならば、

もう一度クルマ全体を見直す。

そして1998年。

BCNR33は最後に大きな答えを出す。

1998年──ペンズオイル・スカイラインが王座へ

R33 GT-RのJGTC最終章を象徴するマシン。

それが黄色と黒の、

PENNZOIL NISMO GT-R。

NISMOは1998年に向けて、空力を含めマシンの能力を徹底的に再検討した。

その成果が出る。

ペンズオイル・スカイラインはシーズン2勝。

エリック・コマス/影山正美組が、ホンダNSXとの激しいタイトル争いを制した。

そして、

ドライバーズタイトル獲得。

さらに、

チームタイトルも獲得。

ダブルタイトルだった。

R33は最後に、

「GT-Rは新しいGTレースの時代でも勝てる」

という結果を残した。

もう一つの戦場──ル・マン24時間

しかしR33のレース史をJGTCだけで終わらせることはできない。

むしろR33を特別なGT-Rにしているのは、

ル・マン24時間への挑戦

かもしれない。

NISMOによれば、この計画の発端はR33 GT-R開発責任者だった渡邉衡三氏が、当時のNISMO社長・安達二郎氏へル・マン挑戦を相談したことだった。

背景には、

「グループAがなくなったのに、なぜGT-Rを作るのか」

という声があったという。

R32にはグループAがあった。

ならR33には何がある?

その答えが、

世界最高峰の24時間レースへ行くことだった。

ル・マン仕様GT-R LMも4WDを捨てた

ル・マンへ投入されたのが、

NISMO GT-R LM。

ベースはR33。

しかし、ここでも市販車とは大きく違う。

駆動方式は、

FR。

日産ヘリテージコレクションに保存される1995年型22号車も、2WD(FR)であることが明記されている。

さらに、

ダブルウィッシュボーンサスペンション。

ワイドボディ。

レーシングブレーキ。

大型タイヤ。

完全に競技用GTマシンへ作り替えられていた。

「GT-R=4WD」という固定観念を捨てても、勝つための最適解を選ぶ。

この割り切りがR33レーサーの面白さだ。

1995年ル・マン──600PSの23号車と耐久型22号車

初挑戦となる1995年、NISMOは2台のGT-R LMを投入した。

23号車。

ドライバーは、

星野一義/鈴木利男/影山正彦。

こちらは上位進出を狙った攻撃的仕様。

RB26DETTは約600PS。

X-TRAC製シーケンシャルトランスミッションを搭載した。

一方の22号車は、

福山英朗/粕谷俊二/近藤真彦。

こちらはN1仕様に近い出力とHパターン5速ミッションを組み合わせ、完走を重視していた。

同じR33 GT-R LMなのに、

一台は速さ。

一台は耐久性。

戦略が違ったのである。

23号車、一時総合5位

そして23号車は速かった。

決勝スタートから7時間後には、

総合5位。

しかしル・マンは、速いだけでは終わらせてくれない。

トランスミッションにトラブルが発生。

ピットでミッション交換まで行ったものの、18時間でリタイアした。

一方、耐久性を優先した22号車は走り続ける。

一時は総合9番手まで浮上。

そして24時間後、

総合10位。クラス5位。

完走した。

R33 GT-Rによる初のル・マン挑戦。

総合優勝ではない。

しかし量産車ベースのGT-Rが、世界最大級の耐久レースでトップ10へ入った。

それだけでも強烈な戦績だった。

1996年──RB26は2.8L・600PS超へ

NISMOは翌年もル・マンへ戻った。

1996年仕様GT-R LMでは、RB26DETTを、

2,795cc

まで拡大。

日産ヘリテージコレクションによれば、

最高出力600PS以上/7,000rpm。

最大トルク618Nm以上。

車重1,250kg。

そして6速トランスミッションを組み合わせていた。

RB26という名前ではある。

しかし中身は完全にレーシングエンジンの領域だ。

結果は、

総合15位。

日産ヘリテージ資料ではクラス5位と記録されている。

前年の総合10位を超えることはできなかった。

なぜR33 GT-R LMではル・マンを勝てなかったのか

理由の一つは、GTレースそのものが急激に進化していたことにある。

NISMOは後に、量産車のスチールモノコックをベースにしたGT-R LMでは、1996年の時点ですでに勝負権を得ることが難しくなっていたと振り返っている。

ライバルには、

ポルシェ911 GT1。

マクラーレンF1 GTR。

そしてGT1規定を徹底的に利用したレーシングマシンが登場していた。

R33は基本的に、

量産スカイラインから生まれたGTカー。

対するライバルは、GTレースで勝つために市販車側を成立させるような領域へ進んでいく。

そこで日産は決断する。

R33ベースではなく、

専用カーボンモノコックのR390 GT1へ。

1997年から日産のル・マン挑戦は次の段階へ進んだ。

つまりR33 GT-R LMは失敗作だったのではない。

市販車ベースGTの限界を日産に教え、R390へつないだマシンだった。

N1でもR33はタイトルを獲得

派手なJGTCとル・マンの陰で、R33にはもう一つ重要な戦場がある。

N1耐久だ。

NISMOの公式戦績では、

1994年J-N1チャンピオンとしてR33 GT-Rが記録されている。

市販車に近いカテゴリーでの強さは、GT-Rにとって重要な意味を持つ。

大幅に改造されたJGTCマシンだけが速かったわけではない。

GT-Rというベース車の素性そのものが、耐久レースでも機能した。

R33は「無敵」ではなかった。だから進化した

R32のレース史は、

29戦29勝

という圧倒的な数字で語れる。

R33は違う。

勝った。

負けた。

マクラーレンに苦しめられた。

ル・マンではトラブルも起きた。

総合優勝には届かなかった。

しかし、そのたびにクルマを変えた。

4WDをFRへ。

マルチリンクをダブルウィッシュボーンへ。

空力を進化。

RB26を2.8L化。

そして1998年にはJGTCでダブルタイトル。

R33のレース史には、「改良して勝ち返す」というエンジニアリングの物語がある。

ここがR32とはまったく違う魅力だ。

R33のレース実績を数字で見る

主な戦績を整理すると、そのキャラクターがよく分かる。

1995年 JGTCドライバーズタイトル。

1995年 ル・マン24時間 総合10位・クラス5位。

1996年 ル・マン24時間 総合15位。

1998年 JGTC ドライバーズ&チームタイトル。

そして1995年JGTCでは富士でR33 GT-Rが1-2-3フィニッシュ。

1998年にはペンズオイル・スカイラインが2勝を挙げ、ホンダNSXとのタイトル争いを制した。

「全勝」という一言では語れない。

だが、

国内最高峰GTレースでタイトルを取り、ル・マンを24時間走り切った。

これがR33だ。

BCNR33は「世界へ行ったGT-R」だった

R33 GT-Rは、しばしばR32とR34の間に挟まれた存在として扱われる。

しかしモータースポーツ史を見ると、評価は変わる。

R32がグループAでGT-Rの強さを復活させた。

R34はJGTCでそのブランドをさらに成熟させた。

そしてR33は、

GT-Rをル・マンへ連れていった。

しかもGT-Rの象徴だった4WDを捨ててまで挑戦した。

1995年の22号車は総合10位。

1996年には2.8L化した600PS超のRB26で再挑戦。

そして国内では最終的に1998年JGTCダブルタイトル。

華麗な無敗記録ではない。

むしろ傷だらけだ。

だからこそR33の戦績には、レーシングカーらしい凄みがある。

R32が「勝つために生まれたGT-R」なら、R33は「勝つために変わり続けたGT-R」だった。

FAQ

R33 GT-RはJGTCでチャンピオンになっていますか?

はい。1995年にはGT-Rを駆る影山正彦がドライバーズタイトルを獲得しました。また1998年にはペンズオイル・スカイラインが活躍し、NISMOがドライバーズとチームの両タイトルを獲得しています。

R33 GT-Rはル・マン24時間に出場しましたか?

はい。R33ベースのNISMO GT-R LMが1995年と1996年のル・マン24時間に参戦しました。1995年は22号車が総合10位・クラス5位、1996年は23号車が総合15位で完走しています。

ル・マン仕様R33は4WDですか?

いいえ。GT-R LMはFR化されています。日産ヘリテージコレクションに保存される1995年仕様にも、駆動方式は2WD(FR)と明記されています。

ル・マン仕様のRB26DETTは何馬力でしたか?

仕様によって異なります。1995年の23号車はNISMO資料で約600PS仕様とされています。1996年型は排気量を2,795ccへ拡大し、日産公式資料で600PS以上とされています。

JGTC仕様R33も市販車と同じ足回りですか?

大きく異なります。当時のR33 JGTC仕様はFR化され、サスペンションも市販車のマルチリンクから競技用ダブルウィッシュボーンへ変更されていました。

R33 GT-Rはル・マンで優勝していますか?

優勝していません。最高成績は1995年の総合10位・クラス5位です。「ル・マン参戦」と「ル・マン優勝」は混同しないよう注意が必要です。


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