🚗 プロローグ:R32が“伝説”と呼ばれる理由
1989年、スカイラインGT-Rが16年ぶりに復活した。
それは単なる復刻ではなかった。
グループAの覇権を奪うために生まれた、戦うためのマシン——BNR32。
この記事では、R32 GT-Rがモータースポーツの世界でどのような成績を残し、 いかにして「無敵のGT-R」という神話を築き上げたのかを、 トリビア・逸話・エモいエピソードとともにひも解く。
🏁 全日本ツーリングカー選手権(JTC)──29戦29勝の伝説
1990年から1993年にかけて、R32 GT-RはJTCのグループAクラスに参戦。
✔ NISMOワークス体制で出走 ✔ カルソニックGT-R(星野一義/鈴木利男)がエースカー ✔ 合計29戦無敗(※一部は規定違反で剥奪も実質的には全勝)
🧠 トリビア①:「敵なし」ゆえにグループAそのものが終焉へ
R32の圧倒的な速さにより、観客・参加者・スポンサーから「勝負にならない」との声が上がる。
「R32のせいでカテゴリーが終わった」 ——それすらも称賛と化す、異常な強さ
🌏 豪州ATCC(オーストラリアツーリングカー選手権)──Godzilla誕生の地
1990〜1992年、R32はオーストラリアでも大暴れ。
✔ ギブソン・モータースポーツが運用(Jim Richards/Mark Skaife) ✔ 1990・1991年にシリーズチャンピオン獲得 ✔ 1991年バサースト1000で勝利、現地ファンに衝撃
🧠 トリビア②:「Godzilla」の名はここから生まれた
地元誌『Wheels』がR32を「Godzilla: the monster from Japan」と評したのがきっかけ。
「勝ちすぎて嫌われた車」 その呼び名が、やがて“畏敬の象徴”となった
🇩🇪 ニュルブルクリンク24時間──耐久の舞台でも“怪物”
R32はニュル24hにも挑戦。
✔ ニスモがファクトリー体制で出場(1991年) ✔ 初参戦でクラス優勝・総合8位という快挙 ✔ 高速耐久性・冷却性能・電子制御の完成度が高く評価
🧠 トリビア③:「欧州の牙城」に割って入った初めての国産車
BMW、ポルシェ、アウディが支配する舞台で、R32は日本車として異例のパフォーマンスを発揮。
「耐久でも壊れない。GT-Rは戦闘機だった」
🛞 国内耐久選手権・N1耐久・グループNでも無双
JTC以外の国内レースでも、R32の速さは圧倒的。
✔ N1耐久シリーズ:トップカテゴリで連勝 ✔ スーパーN1耐久:異常な安定感と燃費性能 ✔ プライベーターでも勝てる“パッケージ性能”
🧠 トリビア④:「速いだけじゃない、“壊れない”が武器」
RB26DETTは高出力・高耐久の両立でレース界の支持を獲得。 トラブルが少ないためピット回数が減り、結果的に勝てるクルマだった。
「R32は、腕よりクルマで勝つ時代を作った」
🔧 チューナー系レース/タイムアタックでも伝説化
R32は公認レース以外でも記録を連発。
✔ 筑波タイムアタック:1分切りを果たした初のGT-R ✔ ゼロヨン(0-400m加速)での無双 ✔ ドラッグレース用モンスターGT-Rも多数誕生
🧠 トリビア⑤:「1000馬力超え」も“普通”だった
チューニング耐性が高く、ボルトオンでパワーアップが可能。 そのためアマチュアでもハイレベルなタイムを記録できた。
「R32は、“伸びしろ”という名の魔物だった」
🎮 ゲームとR32:架空と現実がリンクした存在
R32はグランツーリスモを筆頭に多くのレースゲームに登場。
✔ 「使いやすくて、速い」マシンとして定番化 ✔ ゲーム内でも“無双”で初心者から上級者まで人気 ✔ ゲームきっかけで現車購入→サーキットデビューという流れも
🧠 トリビア⑥:「ゲームで勝てる車は、現実でも勝てる」
チューニングパーツの再現性が高く、セッティング理論の学習ツールにもなった。
「バーチャルとリアル、両方で王者。それがR32」
🏁 エピローグ:勝ちすぎて、歴史になったクルマ
スカイラインGT-R R32。
それは「速かった」では語れない、“勝ちすぎた”車だった。
✔ サーキット、耐久、ドラッグ、タイムアタックすべてで強い ✔ ドライバーより車が勝つ時代の象徴 ✔ 現代のGT-Rにも引き継がれる思想の原点
「R32は、勝つべくして生まれ、勝ちきって去った」
そして今も、語り継がれている。 それは記録ではなく、**“記憶に残る最強”**というかたちで。
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