直列6気筒ではない。
マニュアルトランスミッションもない。
そして車名から「スカイライン」さえ消えた。
R32、R33、R34と続く歴代スカイラインGT-Rを愛してきたファンから見れば、R35の開発思想はかなり大胆だった。
しかし日産が目指していたのは、R34を少し速くした後継車ではない。
GT-Rという存在そのものを、一度ゼロから作り直すことだった。
その結果生まれたのが、VR38DETT、独立型トランスアクスル4WD、GR6型デュアルクラッチトランスミッション、そして「Premium Midship Package」という独特のパッケージだ。
R35を理解するにはスペックを見るだけでは足りない。
なぜRB26を捨てたのか。
なぜ3ペダルMTを設定しなかったのか。
なぜ重い4WDスーパースポーツを作ったのか。
そこには、日産が考えた「誰が乗っても速いスーパーカー」という、従来とは違う哲学があった。
- R35は「R34の次」ではなく、新しいGT-Rだった
- 「RB26を使わない」──ファンなら震える決断
- そこで生まれたVR38DETT
- ミッションを後ろへ──異例のトランスアクスル4WD
- 実は「MTを使わない」ことも早い段階で決めていた
- 「人間より速く変速する」ためのGR6
- 開発コンセプトは「誰でも、どこでも、どんな時でも」
- ATTESA E-TSは「パワーを使わせる」ために存在する
- VR38DETTは「匠」が手で組む
- ニュルブルクリンクは「広告」ではなく開発現場だった
- 「重いのに速い」は欠点ではなく思想だった
- 「GT」と「R」は別の人格だった
- R35は「伝統を捨てたGT-R」ではなかった
- 18年近く作られたことが、設計の異常さを物語る
R35は「R34の次」ではなく、新しいGT-Rだった
R35最大の転換点は、名前にある。
先代は、
Nissan Skyline GT-R。
R35は、
Nissan GT-R。
スカイラインの高性能グレードではなく、GT-Rそのものを独立した車種へ昇格させた。
日産の公式ヘリテージ資料でも、2007年のGT-Rについて「スカイラインから分離独立してスーパースポーツカーへ進化した」と説明されている。
これは単なるネーミング変更ではない。
R35では専用プラットフォーム、専用エンジン、専用トランスミッションを組み合わせる。
つまり開発陣は、
「スカイラインを速くする」という発想から離れた。
世界の高性能車を正面から相手にするためのGT-Rを、最初から専用設計したのである。
「RB26を使わない」──ファンなら震える決断
R32からR34までのGT-Rを象徴するエンジンといえば、
RB26DETT。
2.6L直列6気筒ツインターボ。
モータースポーツでもチューニング界でも伝説的な存在になったエンジンだ。
普通なら後継GT-Rにも直6を載せたくなる。
ところがR35の初期企画段階では、違う判断が下された。
R35の企画に深く関わった田村宏志氏は、日産の回顧企画で、2001年頃の初期構想から、
直列6気筒を使わない方向を強く推していた
と明かしている。
理由はRB26への否定ではない。
むしろ田村氏自身、RB26への深い敬意を持っていた。
それでも新しいGT-Rには、より全長の短いエンジンとミッドシップ的な重量配置が必要だと考えた。
直6より短いV6なら、重量物の配置自由度を高められる。
伝統を守るために古いメカニズムを残すのではなく、GT-Rの性能思想を守るために伝統を捨てた。
ここがR35開発の核心だ。
そこで生まれたVR38DETT
選ばれた心臓部が、
VR38DETT。
3.8L V型6気筒DOHCツインターボだ。
初期日本仕様では最高出力353kW(480PS)を発生。
しかしVR38DETTの面白さは馬力だけではない。
コンパクトなV6をフロントへ搭載しながら、トランスミッションをエンジン直後には置かなかった。
後方へ持っていったのである。
これによって生まれたR35独特の構成が、
Premium Midship Package。
日産がR35のために開発した重要技術だった。
ミッションを後ろへ──異例のトランスアクスル4WD
一般的なフロントエンジン車なら、
エンジン
↓
トランスミッション
↓
プロペラシャフト
↓
後輪
という構成を考える。
R35は違う。
クラッチ、トランスミッション、トランスファーを車体後方へ移し、リアファイナルドライブと一体化した。
日産はこれを、
独立型トランスアクスル4WD
として開発し、当時「世界初」と説明している。
つまりフロントにエンジン、リアにGR6型6速デュアルクラッチトランスミッションを配置する。
しかも4WD。
当然、構造は複雑になる。
ではなぜ、そんな面倒なことをしたのか。
狙いは重量配分と運動性能だ。
重量物であるトランスミッションを後方へ移すことで、フロントへの重量集中を抑える。
R35は「エンジンを真ん中に置く」ミッドシップではない。
重量物を車体中央寄りへ配置し、ミッドシップ的な運動特性を狙ったFRベース4WD
なのである。
実は「MTを使わない」ことも早い段階で決めていた
そして、もう一つの大事件。
R35には3ペダルMTがない。
GT-Rといえば自分でクラッチを踏み、シフトレバーを叩き込む。
そう考えていたファンには衝撃だった。
しかしこれも偶然ではない。
田村宏志氏によれば、2001年頃の構想段階から、
マニュアルトランスミッションを採用しない方向を推していた。
田村氏自身はMT操作が好きだったという。
それでもR35には2ペダルが必要だと考えた。
当時はかなり過激な発想だった。
社内では「2ペダルだけを推すなんて正気ではない」と思われたこともあったという。
それでも開発側は譲らなかった。
「人間より速く変速する」ためのGR6
採用されたのが、
GR6型6速デュアルクラッチトランスミッション。
現代ではDCT搭載スポーツカーは珍しくない。
しかしR35の企画が進められていた2000年代初頭は、まだ高性能車用DCTが現在ほど一般化していなかった。
田村氏は当時、デュアルクラッチ技術の可能性を扱った技術論文にも注目していたと振り返っている。さらに2003年頃になると、欧州の高性能車で2ペダル化が進み、構想への理解も得られるようになったという。
R35が欲しかったのは「ATだから楽」という価値だけではない。
クラッチ操作による時間損失を減らし、誰でも高速かつ正確にシフトできること。
それが重要だった。
職人のようなヒール&トウを習得しなくても、パドルを引けば猛烈な速度で次のギアが入る。
GT-Rはここで「上手な人だけが速いクルマ」という常識から離れ始める。
開発コンセプトは「誰でも、どこでも、どんな時でも」
R35を理解するうえで重要なのが、日産が掲げた思想だ。
日産は当時、
「誰でも、どこでも、どんな時でも最高のスーパーカーライフを楽しめる」
という考えを掲げていた。
これがR35の性格を決定した。
晴れたサーキットだけ速いのでは足りない。
雨でも走れる。
寒くても走れる。
高速道路でも快適。
市街地にも入れる。
特別なレーシングドライバーでなくても性能を引き出せる。
だから4WD。
だからDCT。
だから電子制御。
だからGTとして使える室内とラゲッジスペースも残した。
日産はR35を「マルチ・パフォーマンス・スーパーカー」と表現した。
速さの条件を減らす。
それがR35流のスーパーカーだった。
ATTESA E-TSは「パワーを使わせる」ために存在する
R35にはATTESA E-TS全輪駆動システムが採用された。
大出力車で重要なのは、エンジンが何馬力出るかだけではない。
その馬力を、
路面へ何馬力伝えられるか。
ここで4WDが効いてくる。
日産もR35の最終生産時に、その特徴としてVR38DETT、ATTESA E-TS、空力設計を挙げ、雨や雪までスポーツフィールドへ変える走破性をGT-Rの価値として振り返っている。
乾いた直線でだけ速いマシンではない。
コンディションが悪化しても、性能をなるべく失わない。
これはR32以来のGT-R思想を、R35でさらに極端に発展させたものだった。
VR38DETTは「匠」が手で組む
ハイテクの塊であるR35だが、エンジン製造には驚くほど人間的な工程が残された。
VR38DETTは横浜工場で、
「匠」と呼ばれる熟練技能者が一基ずつ手組みする。
日産によれば、エンジンは専用環境で一人の匠が最初から最後まで組み上げ、その証として組み立て担当者の名前が入ったプレートが取り付けられる。
2017年型について日産が公開した資料では、当時わずか5人の匠がGT-R用VR38DETTを担当していた。
コンピューター制御4WD。
デュアルクラッチ。
高度な空力。
電子制御ダンパー。
その中心にあるエンジンだけは、
最後に人間の手が責任を持つ。
R35の面白いコントラストだ。
ニュルブルクリンクは「広告」ではなく開発現場だった
R35と切り離せない場所がある。
ドイツ、
ニュルブルクリンク北コース。
全長20kmを超え、高低差が大きく、路面もうねり、超高速区間から低速コーナーまで存在する。
R35はここで繰り返しテストされた。
日産は2007年の段階で、ドイツにおけるGT-Rの車両評価を公表しており、ニュルブルクリンクでの性能は後にR35を象徴する話題となっていく。
重要なのは単なるラップタイムではない。
ニュルはブレーキ、タイヤ、サスペンション、冷却、ボディ剛性、空力、駆動制御を同時に痛めつける。
そこで速く、しかも安定して走らせる。
ニュルブルクリンクはR35にとって巨大な性能試験機だった。
「重いのに速い」は欠点ではなく思想だった
R35は軽量スポーツカーではない。
初期型でも車重は1.7トンを超える。
スポーツカーの常識なら、
「軽いほど偉い」
となる。
しかしR35は、軽さだけを絶対視しなかった。
4WDを積む。
DCTを積む。
強靱なボディを作る。
大きなブレーキを使う。
電子制御を積む。
その結果、重量は増える。
代わりに、
その重量を制御して速く走る。
これがR35だった。
「軽くしてドライバーに全部任せる」のではなく、「必要な装備を積み、それでも物理法則をねじ伏せる」。
ある意味、非常に日本的なエンジニアリングである。
「GT」と「R」は別の人格だった
田村宏志氏は、R35には最初から二つの人格が必要だったと振り返っている。
GT。
快適で、長距離でも使え、状況を問わず楽しめる。
そして、
R。
サーキットで速く走るための高性能。
この二面性こそR35の基本思想だった。
だからR35は、レーシングカーのような性能を持ちながらエアコンもナビもある。
2ペダルで渋滞も走れる。
荷物も積める。
そしてサーキットへ持ち込めば、別の顔を見せる。
田村氏は、その二面性がGT-R NISMOでさらに明確になったと説明している。
R35は「伝統を捨てたGT-R」ではなかった
RB26を捨てた。
直6を捨てた。
MTを捨てた。
スカイラインの名前も外した。
ここだけ切り取れば、R35は歴代GT-Rの伝統を壊したクルマにも見える。
しかし開発思想を追うと、むしろ逆だ。
GT-Rが守ろうとしたのは、
特定のエンジン形式ではない。
特定のトランスミッションでもない。
「最新技術を使い、現実の路面で速く走る」という思想だった。
R32でATTESA E-TSや電子制御を投入したように、R35ではV6ツインターボ、DCT、独立型トランスアクスル4WDを使った。
時代が変われば、最適解も変わる。
だからR35はR34のコピーにならなかった。
18年近く作られたことが、設計の異常さを物語る
R35の生産は長期にわたった。
その間、エンジン出力、空力、ボディ剛性、サスペンション、内装、静粛性などを何度も改良。
一つの型式を熟成させ続けるという、現代では珍しい進化を遂げた。
そして日産は2025年8月、栃木工場でR35 GT-Rの最終生産車オフライン式を開催した。
登場時には、
「なぜV6なのか」
「なぜMTがないのか」
「なぜこんなに重いのか」
と問われたクルマ。
しかし振り返れば、その多くはR35の弱点ではなく、
R35をR35たらしめるための選択だった。
直6だからGT-Rなのではない。
3ペダルだからGT-Rなのでもない。
速さを数字だけで終わらせず、天候や路面、ドライバーの技量という「条件」をできるだけ取り払う。
そのためなら伝統的なメカニズムさえ捨てる。
R35 GT-Rの開発秘話で最も熱いのは、そこだ。
過去を再現するのではなく、過去と同じくらい大胆なことをする。
それが、R35が選んだGT-Rの継承方法だったのである。
FAQ
R35 GT-RはなぜRB26DETTを使わなかったのですか?
R35の初期構想では、より短いエンジンとミッドシップ的な重量配置によって慣性を最適化する考えがあり、V6が選択されました。田村宏志氏は2001年頃から直列6気筒を採用しない方向を推していたと日産公式インタビューで振り返っています。
R35 GT-RにMTがないのはなぜですか?
開発初期から2ペダル化が構想されていました。高速かつ正確な変速が可能なデュアルクラッチ技術に着目し、最終的にGR6型6速DCTが採用されました。田村氏によれば、当初は社内でも大胆な考えと受け止められていました。
R35のPremium Midship Packageとは何ですか?
フロントにVR38DETTを搭載しながら、クラッチ、トランスミッション、トランスファーを車両後方へ配置する独特のパッケージです。重量配分や運動性能の向上を狙ったもので、独立型トランスアクスル4WDが大きな特徴です。
VR38DETTは本当に手組みですか?
はい。横浜工場で熟練技能者「匠」が一基ずつ手作業で組み立て、担当した匠の名前が入ったプレートが装着されます。
R35はなぜ「スカイラインGT-R」ではないのですか?
R35ではGT-Rがスカイラインから独立し、専用のスーパースポーツカーとして開発されました。日産公式の歴史資料でも、2007年のGT-Rを「スカイラインから分離独立してスーパースポーツカーへ進化した」と位置付けています。
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