🚗 プロローグ:R33、それは過小評価された“実力者”だった
1995年、R32 GT-Rの絶対王政が終わり、静かにその後継機が登場する。 それが、R33型スカイラインGT-R。
だが登場当初から、R33はファンやメディアの間で“R32より重くなった” “デザインが大人しい”などの声で評価が分かれた。
しかし、その陰でR33は“確かな進化”を遂げており、 レースの現場ではそのポテンシャルを余すことなく発揮していたのだ。
この記事では、クルマ好きの心をくすぐるトリビア・逸話・エモいエピソードを織り交ぜながら、 R33 GT-Rがレース界でどのように評価され、何を残したのかを紐解いていく。
🏁 R33のデビューとグループA撤退──ターニングポイントの中で
1993年にJTC(全日本ツーリングカー選手権)グループAが終了し、 GT-Rが“公式戦”として圧倒的な支配を見せた舞台は幕を閉じた。
R33が登場した1995年には、全日本GT選手権(JGTC)が始まり、 GT-RはGT500クラスの新たな頂点を目指すことになる。
🧠 トリビア①:R33が「重い」と言われたのにレースで使われ続けた理由
確かにR32比で約100kg重くなったR33。 だがシャシー剛性、ブレーキ容量、トラクション性能の向上が図られており、 “レース用ベース車両”としてはむしろ適していた。
✔ 純正でロールケージ並の剛性 ✔ エアロバランスの向上(Cd値はR32より低い) ✔ フロントタイヤの接地性が高く、安定志向の挙動
「安定感は、ラップタイムの武器になる」
🛞 JGTC(全日本GT選手権)での実績と進化
R33は、JGTC GT500クラスにおいて1995年から活躍。
- ニスモ(NISMO)がワークス体制で参戦
- Calsonic、Unisia JECS、Pennzoilなど複数チームがR33をベースにしたGTマシンを製作
- カーボンボディ、パワートレイン強化、エアロパーツの全面刷新
🧠 トリビア②:R33 GT-Rは“ル・マンへの布石”だった!?
JGTCで得た空力・冷却技術・足回りのデータは、 後に「R390 GT1」の開発にもフィードバックされた。 つまりR33は“GT-Rの未来”を見据えた戦闘データバンクでもあった。
✔ 1995年 JGTC第1戦 鈴鹿:Calsonic R33がポールポジション獲得 ✔ 1996年以降、ライバルのスープラ・NSXとの激闘を演出
「R33はGT500黎明期の“重戦車”だった」
🌍 バサースト12時間耐久レース──R33最大の見せ場
R33がその性能を証明した伝説の舞台が、オーストラリア・マウントパノラマで開催された「バサースト12時間耐久レース」だ。
1995年、日産はワークス体制で「Nissan Skyline GT-R R33 N1」を投入。 ドライバーにはニール・クロムプトンとスティーブ・リチャーズという地元の英雄。
結果は——ポールポジション&総合優勝。
🧠 トリビア③:「Godzilla、再び」──R33も海外で“怪物”だった
すでにR32が“Godzilla”の異名で知られていた中、R33もその後継として受け入れられた。 実際にバサーストでは、V8勢を相手に圧倒的なラップタイムを叩き出し、 「また日本から怪物が来た」と現地メディアを震撼させた。
✔ グループNベース車両ながら、耐久性・制動力・ラップコンシステンシーに優れていた ✔ ターボパワーとトルク特性の絶妙なバランスがコースにマッチ
「見た目は地味、中身は怪物」
🔧 “クラブマンレース”と草レース界のヒーロー
R33はプロの舞台だけでなく、草レースやワンメイクイベントでも多くのファンを魅了した。
- 筑波タイムアタックでの安定した速さ
- 東北・関西のサーキットイベントで「GT-Rクラス」の主役に
- クラブマン耐久やジムカーナでも活躍
🧠 トリビア④:「車重が武器になる」理論が確立されたのはR33だった!?
当時は「軽い=速い」が常識だったが、R33で培われた“トラクション重視”の設計思想は、 タイムアタックや耐久戦で効果を発揮。
✔ コーナー脱出の加速で「重さが残す接地力」が武器に ✔ 雨天やロングランで真価を発揮する特性が評価された
「数字ではなく、走りがすべてを証明した」
🧠 海外レビュー・当時のジャーナリズムの反応
R32ほどのセンセーショナルさはなかったが、R33は世界各地の試乗レビューで高評価を得た。
- Car and Driver:『洗練された怪物。GT-Rの実力が一段上がった』
- EVO Magazine:『デザインに迷いがあるが、走りには一点の曇りもない』
- Best MOTORing(日本):『踏めば踏むほど、答えてくる。安心して飛ばせる唯一のGT-R』
🧠 トリビア⑤:サーキットに行くたび“見直される”車だった
オーナーの多くが「最初はR32の方が良かったと思ったが、サーキットに通ううちにR33の懐の深さに気づいた」と語る。
✔ 高速域の安定性 ✔ 長距離での疲労の少なさ ✔ アフターパーツの多様性と強化ベースとしての信頼性
「評価は遅れてやってくる。それがR33の宿命だった」
🏁 エピローグ:R33、それは“熟成された怪物”だった
R33 GT-Rは、R32のような衝撃こそなかったが、 実際には数々の戦いの場で、**その強さと信頼性を証明してきた“実力者”**だった。
✔ 重い? その重さが“路面を掴んだ” ✔ 地味? 見た目より中身が濃かった ✔ 評価が低かった? 本気で走れば誰も黙る
「R33は、過小評価されたまま終わっていいクルマじゃない」
その証拠は、いま世界中のGT-Rファンが、あえてR33を“探している”こと。 “次世代への橋渡し”として生まれた怪物は、いまようやくその真価を取り戻している。
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