はじめに
「誰でも速く走れるスーパーカー」として2007年に登場したGT-R R35。量産車としての速さや技術の粋が注目されがちですが、その魂はサーキットで鍛えられ、磨かれ続けてきました。ニュルブルクリンク24時間耐久レース、SUPER GT、そしてグローバルなGT選手権やドラッグレースまで――GT-R R35は戦うために生まれ、戦いながら進化してきたのです。
ここでは海外Wikipediaを参照し、30〜50代のクルマ好きが胸を熱くするR35のレース実績とトリビア・逸話・おもしろエピソードを、エモーショナルかつマニアックに掘り下げていきます。
1. ニュルブルクリンク挑戦――「第2の故郷」
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R35の開発そのものがニュルで磨かれたことから、デビュー直後から24時間耐久への挑戦は必然だった。
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2008年、R35はテスト参戦ながらクラス優勝を獲得し、世界に衝撃を与える。
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その後も市販ベースの「クラブトラックエディション」や「NISMO GT-R」が参戦し、量産車の限界を押し広げた。
トリビア:ドイツ人観客からは「日本の戦車(Japanischer Panzer)」と呼ばれ、その耐久性とスピードに畏敬の念が集まった。
2. SUPER GTでの快進撃
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2008年、GT500クラスでR35がデビューし、初年度にチャンピオンを獲得。
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特徴的なのはフロントミッドシップに搭載したV8エンジンと、徹底した空力チューニング。
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R35 GT500は「鈍重な量産車のイメージを完全に覆した」と評され、レース専用設計車として完成度を誇った。
逸話:ライバルのホンダNSX、トヨタスープラとの三つ巴は「平成のグループC」と呼ばれ、観客動員数を押し上げた。
3. FIA GT1世界選手権への挑戦
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2009年からFIA GT1選手権に参戦。
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2011年、GT-Rはついにシリーズチャンピオンを獲得。
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欧州メディアは「フェラーリやアストンマーティンを打ち破った日本の怪物」と大きく報じた。
4. ル・マン24時間への伏線
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R35はル・マン24時間のトップカテゴリーには直接参戦していないが、NISMOエンジン供給を通じて間接的に関わった。
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特に2015年の「日産GT-R LM NISMO(FFレイアウトのプロトタイプ)」は異色の挑戦として話題に。
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結果は芳しくなかったものの、その革新性はGT-R精神を体現していた。
5. ドラッグレースとゼロヨン文化
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R35は市販状態でも0-100km/h加速3秒台を誇り、世界中のドラッグレースシーンで人気を博した。
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特にアメリカでは改造R35が1000馬力超を発揮し、1/4マイルで8秒台を叩き出す個体も。
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海外YouTubeチャンネルでは「Godzilla vs Supercar」と題して数々の伝説を作った。
6. 「ゴジラ」の異名を継承
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R32時代からの異名「ゴジラ(Godzilla)」はR35にも引き継がれた。
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オーストラリアや北米のモータージャーナリストが好んで用い、R35が海外で語られる際の代名詞に。
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とくにGT1での勝利は「ゴジラが欧州を制覇した瞬間」として歴史に刻まれた。
7. 海外メディアと観客の声
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英『Top Gear』は「The GT-R is less a car, more a PlayStation with wheels」と評した。
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ドイツのニュル観客は「日本車で唯一、ポルシェに正面から挑んだ存在」と敬意を表した。
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一方で「速すぎてつまらない」という批判もあり、R35は常に愛憎を呼び起こす存在だった。
8. レース実績が市販車を進化させた
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SUPER GTで培った空力技術はNISMOロードカーへ反映。
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GT1やニュル耐久の経験は冷却性能やブレーキ制御の改善につながった。
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R35は「市販車とレースカーの相互進化」を象徴するモデルだった。
まとめ
GT-R R35のレース実績は、単なる勝敗の記録ではありません。それは「世界のスーパーカーに立ち向かうための戦い」であり、ニュルの観客が叫び、GT1のヨーロッパが驚愕し、SUPER GTで日本中が熱狂した物語です。
30〜50代のクルマ好きにとって、R35のサーキットでの姿は、少年時代に憧れた「GT-Rは負けない」という信念を再確認させてくれる存在なのです。
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