“GT-R復活計画”は、社内でも無謀と言われていた R32スカイラインGT-Rが“伝説”になった本当の理由と、開発陣の執念
1989年。日産は、一台のクルマを世に放ちます。その名は――NissanSkylineGT-R(R32)。現在では、日本スポーツカー史を語る上で絶対に外せない存在。しかし当時、このプロジェクトは社内でも“危険すぎる挑戦”と言われていました。なぜならGT-Rは、16年間消えていたからです。1973年。排ガス規制、オイルショック、時代の変化。“ハコスカ”や“ケンメリ”で知られたGT-Rの系譜は、一度完全終了していました。つまりR32GT-Rとは、“復活してはいけなかった伝説”だったのです。それでも日産は、あえてGT-Rを蘇らせた。しかも単なる復刻ではありません。「世界最速のグループAマシンを作る」という、狂気レベルの目標付きで。今回は、30〜50代のクルマ好きなら確実に刺さる、“R32GT-R開発秘話”を深掘りします。なお今回は、海外でよく使われる某有名ニックネームには頼りません。純粋に、“機械としてのR32GT-R”を語ります。R32GT-Rは、“レースで勝つため”に生まれた現在のGT-Rは、スーパーカー文脈で語られることも増えました。ですがR32の本質は違います。完全に、“レース兵器”...


